鷹島の観光

鷹島の観光名所

四角で囲まれた史跡名をクリックすると、詳細が表示されます。

宮地嶽史跡公園 龍面庵 吉乃や 兵衛次郎の墓 医王城跡 歴史民俗資料館・埋蔵文化財センター 医王城跡 開田の七人塚 牧の岳史跡公園 クリックしてください! 対馬小太郎の墓 銅造り如来坐像 今宮神社・広久山満福寺跡 今宮神社・広久山満福寺跡 鷹島海底遺跡

宮地嶽史跡公園・元寇記念の碑

宮地嶽史跡公園・元寇記念の碑 昭和45年に整備された史跡公園。
玄界灘が一望できる絶景の地に、宮地嶽神社、愛宕神社が祀られています。 元寇の際、鷹島では壮烈な激戦が展開されました。
戦いの犠牲となった人々の慰霊の塔の前では、毎年8月30日に元寇記念祭が行われています。

兵衛次郎の墓

文永の役(1274年 文永11年10月5日)、対馬の守護代宗助國は家臣である小太郎と兵衛次郎に、急を大宰府に知らせるよう命じました。 二人は使命を果たしたのですが、元軍は壱岐を占領し、鷹島を襲い博多湾に侵入しました。 後の弘安の役で小太郎・兵衛次郎両者は、少弐景資の配下として鷹島で元軍と戦い、戦死しています。

歴史民族資料館・埋蔵文化財センター

歴史民族資料館・埋蔵文化財センター 『弘安4年(1281年)7月30日の夜、日本侵攻を前に終結した約4,400隻の船と総勢約14万人といわれる元軍が大暴風雨にあい、嵐の去った次の日にはたくさんの船の残骸や遺体が海を埋めつくした。』
この史実をもとに鷹島周辺の海では水中考古学調査が行われ、沈没船の遺跡調査と引き揚げ作業では多数の元寇遺物が発見されました。
歴史民族資料館にはさらに鷹島の民俗・考古学を加えた、貴重な資料が展示されています。 埋蔵文化財センターはそれら元寇の遺物や文化遺産を永久に保存展示することを目的としています。 県下初のPEG装置等の最新設備を備えており、今後も継続される水中考古学の調査や研究、歴史探究の場として大きく貢献しています。

歴史民族資料館・埋蔵文化財センター 鷹島町歴史民俗資料館
859-4303 長崎県松浦市鷹島町神崎免151番地
TEL 0955-48-2744

埋蔵文化財センター
859-4303 長崎県松浦市鷹島町神崎免146番地
TEL 0955-48-2098

銅造り如来坐像

銅造り如来坐像 元軍の船内に祭祀されていた高麗式の銅製如来像で、「神風」によって船とともに海底に沈んだと伝えられています。 引き上げられた後には盗難に遭いもしましたが、現在は市杵島神社境内の小さなお堂に祀られています。
(昭和49年10月8日 長崎県指定有形文化財(彫刻)に指定)

今宮神社・広久山満福寺跡

今宮神社・広久山満福寺跡 今宮神社は、9代藩主・松浦直が、父である8代 松浦久のために建立したと伝えられています。
境内には、松浦久とともに元寇の役で戦い、重傷のためここで自刃した14代 松浦答の墓や、戦死した人々の墓標、五輪塔、宝筐印塔が無数にあります。

大銀杏 長崎県指定天然記念物 また、境内には樹齢400年といわれる大銀杏があり、垂れ下がった幹をさわる(一説には煎じて飲む)と妊婦のお乳の出がよくなると伝えられています。
(大銀杏 長崎県指定天然記念物)

鷹島海底遺跡

1981年(昭和56年)7月に遺跡として周知されました。
その範囲は鷹島南岸全域にわたり、東側干上鼻より西側雷崎までの延長7.5km、汀線より沖合200mにいたる150万m3がこれに相当します。 1990年代からは大型の碇などの発見により水中での発掘も大規模なものとなりました。 2001年と2002年の調査では500点近い木製品が発掘されています。

開田の七人塚

開田の七人塚 開田の一軒家は人目につきにくい山の中にありましたが、飼っていたニワトリが鳴いたため元軍に発見されてしまいます。
8人家族のうち7人が殺され、灰だめに隠れていたお婆さん1人が助かったということです。
それ以来、開田ではニワトリを飼わないと伝えられています。

牧の岳史跡公園

牧の岳史跡公園 牧の岳は標高117mの丘陵で、鷹島で一番高いところに位置しており、島全域と四方をとりまく海を見渡すことができます。 元寇の由来を書いた石碑と五輪の塔が建っています。

対馬小太郎の墓

対馬小太郎の墓 文永の役(1274年 文永11年10月5日)、元軍は対馬に侵入しました。
対馬の守護代宗助國は戦死の直前に、家臣である小太郎と兵衛次郎に急を大宰府に知らせるよう命じます。二人は使命を果たしたのですが、元軍は壱岐を占領し、鷹島を襲い博多湾に侵入しました。
後の弘安の役、小太郎・兵衛次郎は少弐景資の配下として鷹島で元軍と戦い、両者とも戦死しています。小太郎は重傷を負っての自害でした。
小太郎は「我が屍を埋むるに対馬を望むべき丘陵に於いてせよ」と遺言に残し、そのとおりに埋葬されました。今でもその墓からは年に数回対馬が望郷できます。

医王城跡

医王城は領主であった大曲家の城で、大曲長門守、大曲右京助、大曲左右衛門太夫、大曲休也へと代々続きました。家臣の住居跡や壕なども残っています。

龍面庵

龍面庵. 龍面庵後方の丘陵地を御館と呼び、弘安の役に小弐景資が本陣を置いたと伝えられています。 景資に従って戦い戦死した壱岐の石田五郎為治、西牟田弥五郎の墓もあり、附近には今なお五輪の供養塔が多数祀られています。